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「表現の自由」の意義と寛容の精神の重要性についての会長声明
「表現の自由」の意義と寛容の精神の重要性についての会長声明~「表現の不自由展・その後」をめぐる出来事を受けて~
1 2019年8月1日から愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(以下「本件芸術祭」という。)のうちの一企画展「表現の不自由展・その後」(以下「本件企画展」という。)が,脅迫行為をきっかけに展示中止となり,その後,制限された形で再開されるという事態が発生した。
これに加え,地方自治体の要職者によって本件企画展の内容に対し否定的な評価がなされ,本件芸術祭に対する国の補助金がいったん不交付とされる事態も生じた(なお,補助金は後に,減額はされたものの交付されることになった。)。
本件企画展をめぐるこれらの一連の出来事は,以下に述べるように,憲法第21条が保障する「表現の自由」のあり方を改めて考えさせられるという契機になったといえ,同時に,寛容の精神の重要性を痛感させるものでもあったといえる。
2 第1に,不法な手段による文化芸術の表現行為の抑圧は許されない。
本件企画展の内容は,国内の文化施設で展示不許可になった美術作品を集め,展示不許可の理由を説明するパネルとともに,展示するというものであった。そのなかには,韓国人作家の手による「平和の少女像」と題する彫刻作品が含まれていたところ,それがマスコミ報道され,実行委員会事務局に対し抗議の電話やメール等が押し寄せるようになった。
そして,8月2日,会場施設にガソリンを撒くという内容のファクスが送信されたため,主催者は,翌3日,安全性が確保できず円滑な運営ができないという理由で,本件企画展の中止を決定した。
しかし,中止された後も,上記会場や愛知県内の小中学校・高校等に宛て,ガソリンを撒くというメール送信などがされ,8月7日には,会場内で「ガソリンだ。」と叫びながら液体を撒いた男性が現行犯逮捕される事件も発生した。
「表現の自由」の保障は,市民がさまざまな表現活動に触れ自己の人格を発展させる機会を確保するためのものであり,民主主義を維持発展するために必要不可欠の権利である。脅迫等の不法な手段により表現行為を抑圧する行為は,自由な表現活動を萎縮させ,市民が多様な表現に触れる機会を妨げるものであり,到底容認することはできない。
3 第2に,地方自治体の要職者による本件展示に対する言動には問題がある。
今回,地方自治体の要職者が,公的助成を理由に,本件企画展の内容への批判を口にするようなことが見られた。
例えば,実行委員会運営会議の会長代行でもあった名古屋市長が,マスコミの取材に,本件企画展に対し「どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだ」と発言した上,公金が支出されることへの否定的見解を示し,その後,本件企画展の中止を求める抗議文を提出するということがあった。
こうした言動は,憲法の「表現の自由」を保障する趣旨とは相容れないものといえる。
「表現の自由」の保障の下では,公権力が,文化芸術活動の表現活動の内容に着目して不当な干渉を行うことは許されない。それは,公的助成がなされる場合にも当然に妥当することである。公的助成は,市民に多様な表現行為に触れる機会を提供するために行われるものであって,公的助成をする立場の裁量があるとしても,その行使が表現活動の自主性を損なうものであってはならない。公的助成の主体は,助成に当たっては表現活動の内容に介入しないという態度を貫くことが求められている。
名古屋市長の上記言動は,本件企画展中の特定の作品の表現内容に着目して否定的評価を示し,公的助成の対象とすべきではない,というものであり,表現活動の内容に介入しない態度とはいい難い。
4 第3に,本件芸術祭に対する補助金不交付決定には問題がある。
2019年9月26日,文化庁は,本件芸術祭に対する補助金を全額不交付とする決定をした。
その理由は,補助金の申請者たる愛知県が,展覧会の開催に当たり,「展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」を申告しなかったので,「①実現可能な内容になっているか,②事業の継続が見込まれるか」の2点について適正な審査を行うことができなかったとし,「かかる行為は,補助事業の申請手続において不適当な行為であった。」とのことである。
しかし,これについては,次のような問題点を指摘することができる。
上記決定の理由は安全管理上の問題を指摘するものであるが,今回のような一種のテロ予告を申請段階で具体的に予期することは困難であり,警備体制に不備があったわけでもない。そうすると,その「重大な事実」とは,展示内容が論争的であるため,抗議等を招き,ひいては公共の危険が生じることもありうるという抽象的な危険に着目したものと見ることができる。そうだとすれば,このような抽象的な危険をもとに補助金交付の可否を判断することは,付随的な事情を過度に重視するものといえる。正当な表現活動についてこれを嫌悪する者の存在を理由に制約することにもつながりかねず,「表現の自由」の保障の趣旨にもそぐわない。合理的な理由と見ることは困難である。
このように,上記決定は合理的なものとはいえない。そして,その決定までに,内閣官房長官や文部科学大臣(当時)が,本件展示の「具体的な内容」を含む事実関係を確認する必要があると述べたこと,決定に至る審査過程上の記録文書が残されていないとされ,検証可能性が損なわれていることなどを考慮に入れると,本件展示の内容を否定的に評価したためではないかとの疑いさえ呼び起こしうるものである。
そのうえ,将来において,「表現の自由」に与える影響が懸念されるという問題もある。「安全管理」の名の下に,公権力が不当に干渉する口実を与えるおそれを否定できず,また,今後,公的助成を受けて実施される展示会等の主催者において,論争的な内容を含む作品の展示を控えようとの心理が生まれるきっかけとなることが懸念されるからである。
なお,その後,2020年3月23日,文化庁は,本件芸術祭に対する上記決定を見直し,補助金を減額して交付することを決定したと発表した。愛知県が「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような事態への懸念が想定されたにもかかわらず,これを申告しなかったことは遺憾であり,今後は,これまで以上に,連絡を密にする。」との見解を示して減額を申し出たこと等を踏まえた判断であるとのことである。不交付決定が見直された点は評価できるが,表現活動に対する公権力による干渉のおそれが払拭されたかについては,愛知県が「遺憾の意」を示して自ら減額を申し出たりしなければならなかったことなど,なお問題が残されていると指摘できる。
5 自由で民主的な社会の維持発展のために憲法が保障する「表現の自由」は守られなければならない。
本件企画展をめぐっては,脅迫等の不法な手段で表現行為を抑圧しようとする行為が見られ,公権力による表現活動に対する不当な介入と疑われるような行為が見られたが,これらは,憲法第21条が保障する「表現の自由」の保障の観点から真摯に検討されなければならない問題だといえる。
また,本件企画展をめぐる経緯を振り返ると,多様な価値観が社会に存在することを認め,自己の立場と異なる意見等であっても,それが発表されること自体を否定しないという,「寛容の精神」が重要であることを,痛切に感じる。
よって,当会は,不法な手段により「表現の自由」を抑圧する行為や,公権力による「表現の自由」に対する不当な干渉は容認できないことを指摘するとともに,憲法が保障する自由で民主的な社会の維持発展の基盤である「表現の自由」の意義を,そして「寛容の精神」の重要性を,今,この機会に,改めて確認するものである。
2020年(令和2年)9月2日
金沢弁護士会会長 宮西 香